大阪地方裁判所 昭和50年(ワ)1845号 判決 1979年9月28日
原告
西村徹
右訴訟代理人
仲田隆明
同
藤田一良
被告
東京都
右代表者知事
鈴木俊一
右指定代理人
池田良賢
外三名
被告
株式会社産業経済新聞社
右代表取締役
松本龍二
右訴訟代理人
熊谷尚之
外三名
主文
一、被告株式会社産業経済新聞社は原告に対し金三〇万円とこれに対する昭和五〇年五月六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二、原告の被告株式会社産業経済新聞社に対するその余の請求および被告東京都に対する請求をいずれも棄却する。
三、訴訟費用は、原告と被告株式会社産業経済新聞社との間においては、原告に生じた費用の二分の一を同被告の負担、その余は各自の負担とし、原告と被告東京都の間においては原告の負担とする。
事実《省略》
理由
一請求原因1の事実は当事者間に争いがなく、同2は、捜索、差押許可状発布の裁判所名と押収物件を除き(但し、被告都との間では右の点を含め)当事者間に争いがない。右許可状を発布したのが東京簡易裁判所裁判官であり、手紙等四点が捜索、差押されたことは、<証拠>によつて認められる。同3の事実は記事の大きさを除き当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、本件記事は七段抜で最上段から六段目までは横二一センチメートル、七から九段目までは同一一センチメートル、一〇、一一段目は同七センチメートルであることが認められる。
二そこで本件捜索、差押の経緯について検討する。
右争いのない事実ならびに<証拠>によると次の事実が認められる。
1(1) 昭和四七年五月三〇日の日本人ゲリラによるテルアビブ空港乱射事件発生後、その背後関係を究明、捜査していた大阪府警は同年七月三日ベイルートの日本赤軍奥平剛士に宛てて郵便で牛刀を送つた井上康を逮捕、追及したところ、井上は同月七日奥平から井上への連絡便の受信場所として堺市諏訪森近くのペンネーム吉川方を利用していた旨供述し、右吉川なる者は実は原告であることが明らかにされた。そして原告およびその妻夫佐子は同府警に対し、井上の依頼により奥平らの外国郵便の宛先を自宅にすることを引受けていたことを認めた。
(2) さらに井上の自供で、井上が奥平剛士からの指令で構成員をベイルートに送り込むため京大で知りあつた檜森某を渡航させることとし、その費用に充てるため原告の妻から昭和四六年九月ごろ現金五万円を、また翌四七年三月一日ごろには宮本康広を通じて現金一〇万円を借用し、右金員が日航機ハイジヤツク事件の犯人丸岡修の費用に充てられたことが明らかになつた。
(3) 原告夫妻はこの件で大阪府警より昭和四七年七月取調を受けたが、原告は外形的事実のみ認めて日本赤軍との関連を否認し、捜査が打切られていた。
2 戸平和夫は昭和四九年二月日本を出国後西川純とともに旅券を偽造してこれを行使し、北欧諸国にあるレバノン大使館等を調査中、旅券の偽造が発覚して日本に強制送還され、戸平と交渉をもつた人物について自供を始めた。
一方戸平名義の旅券をもとに戸平に関する捜査が行われ、その実父宅で戸平のノート類が押収された。右ノートには西村1堺泉北連絡会議参加(<証拠>)西村氏を呼ぶ(<証拠>)などの記載があり、右戸平を警視庁において取調べた結果(<証拠>)、かつて井上康らを取調べた調書(<証拠>)と相まつて右西村某は原告夫妻のことであり、夫妻とも反公害堺泉北連絡会の中心的な立場にあること、京大パルチザンに属する井上康、増田拓朗、宮本康広らは堺公害斗争委員会の名称で堺公害問題に取り組むうち、原告夫妻と交際を始め、公害の実態を知らせる月刊誌発刊を目的とするロシナンテ社結成の際も原告に株主として参加してもらい、次第にその交際が密になり、戸平も右京大パルチザンおよび公害斗争に関係し、このような日本赤軍に属する者との交際関係から、前記のように現金貸借、外国郵便の中継などに原告夫妻が利用される関係が生じ、府警の取調を受けたことが判明した。
3 そこで警視庁公安部は、戸平の本件犯行について、原告方捜索、差押の必要があるものと考え、疎明資料として、戸平和夫、彦一、井上康らの供述調書、ノート等を添えて、昭和五〇年三月二八日東京簡易裁判所裁判官に捜索、差押許可状の請求をした。右許可状には差押えるべき物として、「本件に関係ある①指令、指示、会議録、往復文書、書簡、②機関誌、ビラ、③日記、住所録、④出入国関係文書、メモ、⑤戸平ら日本赤軍メンバーの写真、⑥旅券偽造の器材等」の記載があつた。これに対し、同裁判官は同日右許可状を発布した。警視庁公安部は同月三〇日、大阪府警察本部から五名の応援をえて、原告方捜索に着手し、英文の手紙四点を押収した。そして、翌三一日サンケイ新聞朝刊紙上に右捜索、差押に関する記事が掲載された。
三つぎに被告らの責任について判断する。
(被告都の責任)
本件捜索差押は前記戸平のノート類(以下戸平メモという)に原告の氏名が記載されていたことが端緒となり、右戸平和夫および西川純両名にかゝわる日本国旅券の偽造にかかわる有印公文書偽造、同行使の被疑事実に関する証拠物の存在の高度の蓋然性が原告宅に存在し、かつ事件の共犯関係、背後関係を明らかにするという捜査の必要が認められたためこれを行つたものと認められ、捜査機関の故意、過失はなんら認められない。すなわち
1 本件被疑事実は日本赤軍に所属する戸平和夫らの活動の一環としての犯行によるものであることが前記のとおりであり、日本赤軍が日航機ハイジヤツク事件その他多くの組織的犯行を繰返したことは公知の事実である。
<証拠>によると戸平和夫は過去に日本赤軍としての行動歴はなく、公害斗争を通じて京大パルチザンなる組織の影響を受け、それに共鳴して指導され、井上康ら秘密組織のキヤツプによつてコマンドとして国外に送り出されたものとみられ(<証拠>)、本件被疑事実は右秘密組織の実態を解明して始めてその動機、目的、共謀ないし背後関係が明らかにされるものと認められ、<証拠>に徴すると前記本件捜索差押の経緯として認定したとおり原告と戸平の関係が判明し、原告宅に本件に関する証拠物の存在の高度の蓋然性が予想されたため捜索差押許可状を発布請求したことが認められ、戸平の犯罪の嫌疑、捜索差押の必要性のいずれの点においても欠けるところがあつたとは言い難い。
2 <証拠>に徴すると差押えるべき物の記載は本件犯行に関連するものとして具体的に明示されて居り、その特定性において欠けるところがあるとは認められない。また押収された四点の手紙が原告と外国在住の友人、教え子との私信にすぎないことが<証拠>によつて認められるが、これらは英文の差出人自筆のもので捜索現場で明確に読解しうるものとは考えられない上、証人渡部雅量の証言によれば発信地である英国は日本赤軍の拠点があると考えられていたことなどの諸事情をあわせ勘案すると、結果的に被疑事実と関係の認められない私信を差押えたことが直ちに違法となるものとは解せられない。
(右許可状の被疑事実によれば本件犯行日時場所が昭和四八年九月ころから昭和五〇年三月五日ころまでの間某所においてとされているが、戸平らの自供以外にこれを特定する証拠がなかつたからとみられ、ことさらに違法捜索を行うためこれを不特定ならしめたとは推認されない。)
3 原告は本件捜索、差押の方法が違法である旨主張するが、<証拠>を総合すれば右捜索、差押は原告の名誉と捜査密行の原則を考慮して捜査員はグループ別に順次原告宅に赴き、原告の妻を立会わせて部屋のカーテンなどを閉め、取材に来た被告新聞社の記者を排除するなどの措置を採つて居り、原告の妻から弁護士への電話連絡の申出があつた際、弁護士の立会は認められない旨を同女に伝えたことはあつたにしても、立会以外の相談などについて連絡を不当に妨害したなどの事実を認めるべき証拠はない。そして本件捜索、差押が本件被疑事実捜査以外の目的でなされたこと、その他その結果等を報道機関が新聞発表するにつき、捜査機関が事前にこれを洩らすとかの方法で報道機関独自の取材活動に容嘴介入したなどの事実を推認しうるなんらの証拠もなく、本件捜索、差押は適法に行われたことが明らかである。
4 以上説示のとおり、本件捜索、差押について警視庁警察官になんらの違法行為も存しないから、これを前提とする原告の被告都に対する請求はその余の判断をするまでもなく失当である。
(被告新聞社の責任)
1 <証拠>に徴すると被告新聞社は本件捜索、差押について昭和五〇年三月三一日版の右欄に「西村大阪女子大教授宅など捜索」なる六段抜き活字の大見出しを掲げ、上欄に「赤軍出国解明へ」大見出しの左側に「公文書偽造容疑で」「戸平のメモに名前」その下欄に「警視庁」なる見出しを付けていることが認められ、右各見出しをその記事内容を精読、照合して考えると、スウエーデンから強制送還された日本赤軍の戸平和夫、西川純の両名を公文書偽造容疑で捜査中、戸平の持つていたメモの中に原告の名が書かれてあり、右両名の赤軍加入と出国について国内のコマンド送り出し組織などの背後関係解明のため原告宅などを捜索した意味であることが明らかであり、前記各認定事実に照らすと右各見出しおよび記事内容にはこれらを独立して個々的に観察するかぎり特に真実に反する報道として取り上げる個所はないことが認められ、その各見出しの左下方の「2度目の疑惑西村教授」の見出しおよびその内容とともに特に虚偽の事実として指摘しうるところはない。(<証拠>に徴すると、昭和四七年になされた原告の取調は容疑不十分として打切られたことが認められる。)
2 しかしながら新聞記事による名誉毀損の成否を判断するに当つては、その記事内容や見出しの個々の真否を分析的に観察することは無意味である。読者は公正な観察者としての眼で記事内容と見出しを比較検討した上総合的な理解に達するというよりも、むしろ端的に記事の見出しで関心をひきつけられ、記事についての第一印象を懐くものであるから、本文の内容のほか見出し、前文の内容、配置、活字および本文の大きさ、写真、掲載場所等を総合的に勘案し、一般読者の普通の注意、関心と通常の読み方を基準として当該記事から受ける印象によつて名誉が毀損されたか否かを総合判断すべきものである。
3(1) 本件は当時世人を震憾させた日本赤軍のコマンドと認められる奥平和夫の被疑事件に関連して公立大学の教授宅が強制捜索された事件であつて、被疑事件の重大性と被捜索者の社会的地位からすると、「後記公文書偽造容疑で」とある見出し部分を除いては記事の位置、大きさ(もつとも捜索の結果得られた事実が被疑事件の全貌解明に占める比重からすると、<証拠>に認められるように他社の取上げ方に比しその見出しが長大に過ぎる感がなくはない。)掲載写真(<証拠>によれば容疑者の場合にかぎり被撮人物を四角に囲む慣例があるとは速断できない。)については特に問題にすべきところがあるとまではいえず、戸平メモ発見を契機に捜査当局の疑惑を再度深めたことは、大学教授たる原告およびその妻が結果的に日本赤軍に安易に便宜を供与していた過去の行動から招来されたやむを得ない結果といえなくもなく、本来被疑者でない原告を記事の対象としたことは妥当でない旨の所論は肯定できない。
(2) しかしながら前記見出しの「公文書偽造容疑で」とある部分には、「戸平らの」との限定が附されて居らず、その位置関係、活字の太さ等からしても卒然この見出し部分と、「西村大阪女子大教授宅など捜索」「赤軍出国解明へ」なる見出し、および右記事欄の左側にある「一本釣り組織やはり大阪に」なる見出しを照らしあわせると、一般読者の多くにあたかも原告自身が赤軍組織の背後にあつて、自己の公文書偽造容疑で捜索を受けたのではないかとの第一印象を与えかねないものである。
被告新聞社は「一本釣組織やはり大阪に」なる見出しのもとに掲載された関連記事は、日本赤軍が起した事件の主役である奥平剛士、丸岡修や本件の戸平和夫らがいずれも関西出身か関西で生活していた者であつて、このうち戸平は釜ケ崎共斗会議内の日本赤軍シンパの手引で出国したもので、これらの連中はいずれもこうした国内組織によつて一本釣されたものと推測され、捜査当局は戸平と交渉のあつた原告方などの捜索を突破口として背後組織を解明する方針であつたことが明らかであることなどに徴しなんら事実に反するものでないと主張するが、「やはり大阪に」という見出しは右背後組織が大阪に存在していたことが判明した意であると解するのが自然である。ところが右見出しの関連記事の内容を精読しても、戸平の自宅などから押収されたメモに関西の活動家や文化人の住所などがびつしり書き込まれていたなど、前記各証拠上からは誇張とみられる記事(証人辻本幸夫は警察のいう儘を記事にしたという)があるものの、戸平が釜ケ崎共斗会議内のシンパと連絡をとつていたなどの事実から大阪にそうしたコマンド送り出しの一本釣り組織が存在するという判断にどうして到達しうるのか全く不明であり、結局右のはいささか興味本位に流れて内容の正確性を欠いているものと解せざるを得ない。
(3) なお<証拠>によれば前記「西村大阪女子大教授宅など捜索」なる大見出しを附された記事内容には原告らがテルアビブ空港乱射事件の際も日本赤軍と接触したとみられているとか、警視庁では西川、戸平の出国に何らかの役割を果した疑が強いとみているとか、さらには西川、戸平が原告や釜共斗幹部との接触をきつかけに日本赤軍のコマンドになつたという疑いが極めて強いとしているなどの記載がある。前記認定事実によると原告夫妻が日本赤軍と「接触」したとする表現が適切、妥当であるか否かはともかくあながち虚偽と断ずることはできないし、また本件捜索、差押が行われたのは警視庁が西川、戸平の出国に原告が何らかの役割を果した疑が強いとみたからであると推測されないでなく、原告が前記認定のように結果的に日本赤軍のレター・ポスト的役割を果たしたことは遺憾ながら事実として認めないわけにはいかない。しかしながら、マスメデイアの報道の重要性に鑑み、新聞記者は事実の真偽なお不明確な段階においては警察の情報をそのまゝ鵜呑みにして、直ちにこれを事実として報道し、または読者に事実としての印象を持たせるような記事を掲載することは避けるべきであり、警察の見方にあわせ原告の言い分を等分にとり上げるとか、新聞社としてもその独自の取材活動を通じできるだけの調査をするとかの方法で記事の公正を保つよう配慮すべきものである。<証拠>に徴すると、「西川、戸平が原告らとの接触をきつかけに日本赤軍のコマンドになつたという疑いが械めて強いとしている。」との部分は、あるいは被告新聞社記者がそのような情報を捜査機関から得たのではないかと推認する余地がないとはいえないにしても、その記事内容が読者に与える印象の強さおよびその表現の強さに対比しその具体的記事内容はやゝ貧困の感を免れず、特に原告らとの接触を「きつかけ」にとの部分や、原告と釜共斗幹部とを並列して記載している部分は通常の読者に原告が過激分子に深くかゝわつているとの印象を必要以上に与えかねない作用を果している。また「西村教授らはテルアビブ空港乱射事件のさいも日本赤軍と接触したとみられて居り」なる記事内容も、そのいわゆる接触日時の点において表現の正確性を欠き、また「西村教授ら」の意味が曖昧であるため、少くとも結果的には右作用の一助となつているようにみられ、前記(2)で述べた見出しのもとにこうした個々の記事を総合すると、相当数の一部の読者に前掲各証拠上からは認められない誤まつた印象を与えることになると思われる。
4 これを要するに被告新聞社の本件記事およびその見出しから通常の読者が印象づけられ、そのうち相当数の一部の読者が事実として受けとめるであろういわゆる一本釣りの赤軍コマンド国外送り出し組織と原告とのかゝわりについては、被告新聞社のその点の主観的意図の有無にかゝわらずこれを認定すべき立証がなく、被告新聞社側にこれを真実と信ずるについて相当の理由があつたものとは認めるべき立証もないから、(被告新聞社は原告において被告現実の悪意を立証しないかぎり本件記事掲載を違法とすることはできないと主張するが、報道の自由はもとより尊重されなければならないが、かたわら被報道者の人権も不必要に侵されてはならないのであり、前記「真実と信ずべき相当の理由」がないとされる場合に重ねて右の要件を必要とする理由はない。)本件記事に公共性が存し、公益を図る目的があつたことは一応認められるにしても、被告新聞社の主張はその余の判断を俟つまでもなく失当であつて、以上認定の事実によれば、本件記事が全国に販売網を持つ産経新聞の社会面のトツプに掲載、発行され、その結果大学教授たる原告の社会的評価の低下を招来し、その名誉、信用が毀損されたことは自明である。そして本件記事は被告新聞社の従業員によつて取材、掲載されたことが明らかで、右は被告新聞社の事業執行行為としてなされたものであるから、その使用者たる被告新聞社はその責任を免れないところというべきである。
四損害
原告が本件記事によつて名誉、信用を著しく毀損されたことは前判示のとおりであるが、本件記録に顕われた一切の事情を斟酌して、原告の受けた精神的苦痛に対する慰藉料としては金三〇万円が相当であると認め、弁護士費用の請求については、被告新聞社の不法行為との間に必要かつ必然の相当因果関係が認められないのでその支払を認めないのが相当である。
原告はさらに慰藉料の請求に併わせて謝罪広告の掲載を求めるが、前記諸般の事情を総合考慮すれば、原告に対する名誉回復の措置としては、右慰藉料の支払をもつて足り、それに付加してなお謝罪広告の掲載を命ずる必要はないものというべきである。
五結論
よつて原告の被告新聞社に対する本訴請求は右金三〇万円と、これに対する訴状送達の日の翌日であることが明らかな昭和五〇年五月六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるから認容し、その余の被告新聞社に対する請求および被告都に対する請求は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を適用し、なお仮執行宣言は相当でないので付さないことにし主文のとおり判決する。
(岡村旦 将積良子 古川順一)
別紙一、二<省略>